25 わいざつとげいじゅつ?どん底・・・わいざつとげいじゅつ?前回、日記で『新宿泥棒日記』を書いた。 ・・・多分、顰蹙(ひんしゅく)を買ったんだろうな。 でも、 私の日記なんて、所詮こんなもの。 ・・・読む方が悪い。 渡辺文雄や佐藤慶など、今では一流?の俳優なんて呼ばれる人たちが実名で出演して、『馬鹿馬鹿しいこと』を真剣に論じているし、 紀伊國屋書店の創業者、初代社長田辺茂一が、タドタドシく台詞を棒読みする。 一時、「宇宙との交信?」で忙しかった商業デザイナー横尾忠則の大根役者ぶりは「失笑」を通り越して「悲哀」さえ漂っている。 元凶は・・・ 大島渚なんてモンが監督したことなんだろう。 彼は、「愛のコリーダ」なんて『猥褻(わいせつ)』と『芸術』を勘違いした作品で国際的に評価されているようだが・・・ 所詮は『エロ映画監督』以上でも以下でもないんじゃないか? 『文化人面』する程のことでもないと思うが・・・ だから、前回の日記で私は・・・ 『新宿泥棒日記』が、素晴しい芸術作品だなんて一言も言っちゃいない。 ハッキリ言って『駄作』だろうと思っている。 でも・・・ 映画の途中に挿入される、 唐十郎や麿赤兒(まろ あかじ)なんかの紅テント『状況劇場』が良く判らないながらも・・・ 単純に『スッゴイ』と感じてしまった。 そして・・・ 「ジェネの『泥棒日記』」や「サルトルの『恭しき娼婦』」なんて『書籍群』に圧倒された。 だから・・・ 実は『新宿泥棒日記』の主人公は、「前衛演劇」や「紀伊國屋書店を舞台にして乱舞する哲学書群」なのか?って思っている。 大島渚と同じような位置に荒木経惟(アラーキー)がいる。 でも彼は・・・ 国際的な写真コンテストに招かれ、多くの外国取材陣に囲まれる中、 「君ぃ!所詮、芸術なんてセックスだよっ。セックス、セックス・・・」 なんて叫びながら退場していった。 決して『文化人面』なんかしない。 荒木経惟は下品で猥雑なヌード写真が有名である。 一説によると・・・ 天下の広告代理店『電通』に勤めている頃、職場結婚した陽子夫人のヌード写真を同僚に見せて喜んでた・・・とか。 ・・・きっと奥さんの『知り合い』も居ただろうに。 でも・・・ 氏が撮影する、ゴミが散乱する「夜明け前の歌舞伎町」や「薄汚れた東京下町風景」なんてモノクローム写真。 決してキレイな訳じゃない。 そして『都市の狂乱の残滓(ざんし)』や『ノスタルジー』なんて・・・決して声高に主張したりもしない。 あくまでも・・・ 「君ぃ!所詮、芸術なんて『セックス』だよっ。セックス、セックス・・・」 の「オッサン」なのである。 その奥さんが亡くなると・・・ 毎年毎年、彼女の誕生日(命日?)には、居所の「彼女の愛したテラス」を「彼女が好きだった花」一杯にして写真を撮り続けていると云う。 私が感じた唯一『美しい』彼の作品である。 沢田教一。 ヴェトナム戦争中、泥のような河から戦火を逃れる母子を撮った写真『安全への逃避』が『ピューリッツァー賞(新聞等の報道等に与えられる米国で最も権威ある賞)』を受賞する。 氏は、その5年後、紛争が拡大するカンボジアを取材中に狙撃され34歳で早世した。 野犬が人の死体を喰っている写真『人間は犬に喰われる程自由だ』を、未だ硬派な写真報道がメインだった『FOCUS』に掲載し、新潮社に自主回収させた藤原新也。 彼らの『報道写真』は、視る者の『感動』や『衝撃』を誘う。 でも、 『安全への逃避』の背景には泥沼化したヴェトナム戦争がある。 何時でも戦争の最大の犠牲者は『兵士』なんかじゃない。 『一般庶民』なんだ。 そんなものに『芸術』や『文化』なんて冠を被せようって方が如何かしている。 そして、 『文化人?』なんかに成り下がろうって『人種』なら、少なくとも「犬に喰われる死体」に『人間は犬に喰われる程自由だ』なんて副題を付けたりはしない。 沢田教一や藤原新也が訴えたかった事。 それは、 今でも世界を覆う『戦争』や『貧困』に怯えながら、それでも懸命に生きる人々の『生の姿』なのだろう。 それを、彼ら被災者、被害者と同一の視点で写し取っている。 そんな自分を『卑怯』とすら感じていたのかも知れない。 だから・・・ 『芸術作品』なんて馬鹿馬鹿しい主張は絶対にしない。 自分の作品を『芸術』なんて言う輩に、 加納典明なんかが居るようだが・・・。 奴の写真なんて素人の『エロ写真』じゃないか。 真実を黙して語らない沢田教一や藤原新也。 自分の作品を何処かで馬鹿にしている荒木経惟。 「エロフィルム」や「エロ写真」に、文化人面する大島渚に加納典明。 イロイロと似非いんてりげんちゃんは喧しいが・・・ 何がホントの『芸術』なんだろう? ジャンル別一覧
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